はいさい。
安里です。
私は人が好きです。
色々な方とお会いして、話す事が多いと思います。
それがとても楽しいんです、新しい刺激を受けます、
年齢性別関係なく頑張っている方にお会いすると、まだまだ頑張ろうと励みになります、至らない自分に気づく場面もあります。
この年齢になって母が日頃言ってた言葉が染みてきます。
「普通がどれだけ幸せなことか」「実るほど頭を垂れる稲穂かな・」その通りだと思います。
母は戦禍を乳飲子含む子供3人抱え逃げ切り、
その後やっと落ち着いたと思った頃に父が亡くなり
女手一つ残された10名の子供達を育て上げました。
きっと母はとてもショックを受けたと思います。想像もつかないほど苦しかったでしょう、
ただ当時は途方にくれる間も無く、残された私たち子供達の為に必死に働き養ってくれました。
私の記憶の母は、あまり家に居なくて、出かける時は兄姉達に合図をし、私が母を追いかけないよう気を外らせていました。
母には人を癒す力があり、沢山の方の相談を聞き解決していたようです、
中には心無い言葉を掛けられたり誹謗中傷されることもあったようですが、
子供達を守る為に尽力していました。
そんな母の「普通」という言葉の重みが少し理解できたような気がします。
母の普通の中にあった出来事でしょうが、当時の私には普通じゃなかった思い出があります。それが
「嘘」「作り話」についてです。
ある日学校が終わる頃雨が降っていました。
小学校低学年でしたが、傘やカッパも忘れたので濡れて帰ろうとした時に、校門に傘を持った母がいました。
私にとって、初めての出来事に驚きと嬉しさで母に駆け寄り「なんでお迎えにきてくれたの??」と聞いてました。
母は、雨が降ったからねと優しい笑顔で答えてくれました。
二人で傘をさし、家に向かっているとトンネルの方で雨宿りをしている、お爺さんがいました。
そのお爺さんのそばを通りすぎる時に
「どちらまで、行かれるのですか??」
と母が声をかけましした、するとお爺さんはビックリした様子で「〇〇まで・・・」と母と会話をしています、
早く帰りたそうな私を気に留めず母はそのお爺さんと会話を続け突然
「そうですか、じゃあこれを使って下さい、私の家はすぐそこです」と差していた傘をお爺さんの手に握らせていました。
私は驚いて母に「家はまだ遠いよ・・・」と言い掛けましたが、母はシッと私の方を見ながら人差し指を口にあて何も言わないようにと、合図しました。
そのお爺さんに傘を渡し、一つの傘で家に向かい歩き出した母に
「嘘をつくのはダメなのにどうして、家が近いってお母さんは嘘をついたの??」
と聞いたら、母は
「嘘はダメだけど、時には優しい嘘(作り話し)もあるんだよ、あのお爺さんは目が見えてなくて、歩くのも大変、その上雨に濡れて余計に大変だろう、だから傘を渡した、でも傘をもらう事を遠慮していたから、家が近いと作り話しをした」と話してくれました。
その時は意味を理解していませんでしたが、大人になって母の言う「優しい嘘(作り話し)」を理解できるようになりました。
大好きな母の言っていた「普通」の大切さが染みています。
黄金言葉として私の胸に刻んでいます。
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